R&Dから社会実装へどう繋げるか――製造業のナレッジマネジメントをAIが支援する「PKSHA Maintenance」
PKSHAグループのPKSHA Technology(パークシャ・テクノロジー、以下PKSHA)は、2024年9月、製造業のナレッジマネジメントをAIが支援する「PKSHA Maintenance(パークシャメンテナンス)」の提供を開始しました。
PKSHA Maintenanceは、製造工場等の現場で蓄積されたノウハウをもとに対応策を提示するソリューションです。過去の設備保全履歴の知見を集約させることで、設備トラブル対応支援を行い、安心安全な工場運営を実現します。
このソリューションの実現には、PKSHA内でアルゴリズムのR&Dを担うPKSHA Research(Layer0)と、企業の個別課題を解決するAI Solution事業本部(Layer1)が深く関わっており、2021年から素地となる研究を行ってきました。本記事では、研究開発を起点に同ソリューションを生み出し、社会実装へと繋げていった道のりについて、その取り組みに深く関わってきた3名に話を聞きました。
RAGがお客様の課題を解く鍵に
――はじめに、PKSHA Research(Layer0)の概要とRAGへの所感についてお聞かせください。
稲原:PKSHA Researchでは中長期的な視点でPKSHAのビジネスを成長させる可能性が高い、最先端技術について探索しています。今回のメインテーマとなるRAG(検索拡張生成)は、私たちが注目するテーマのうちのひとつでした。
RAGについては数年前からいくつもの論文が発表されていました。論文には2~3年後のビジネスの手掛かりがあります。たとえば、OpenAIがChatGPTを発表する約2年前、OpenAIは「Scaling Laws for Neural Language Models」という論文を出していました。この論文を読んでいれば、ChatGPTのようなものが数年後に登場することは予測できました。
LLMの精度の限界とコストパフォーマンスについて考えたとき、ビジネスにおいてRAGが必要とされるようになることは過去の論文でも言及されていました。私たちがRAGの社会実装に対して注力すべきだと判断したのは、こうしたファクトの積み重ねがあったからです。
下沢:PKSHAはLayer0、1、2という組織で構成されており、それぞれがR&D、ソリューション開発、プロダクト開発を意味しています。それらが各自の領域に携わりつつ、連携することで一気通貫で取り組めることを強みとしています。
Layer0のメンバーは研究だけでなくLayer1/2での社会実装に向けた開発に携わることも多く、最先端の論文を理解する能力に加えてビジネスセンスも持ち合わせています。「これは優れた技術だけれどコストがかかる」、「スピードが上がらないからビジネスの現場には向いていない」という判断をしているからこそ、数ある論文を精査して、未来のために取り組むべきテーマを見極めることができるのだと思います。
――PKSHA Maintenanceのプロジェクトは、どのように立ち上がったのですか?
下沢:もともと築き上げてきたお客様との関係性の中で、AIの勉強会を合同で催したり、議論をしたりしていました。そのなかで現場から出てきたあるアイデアを実現したいと相談されたのが、プロジェクトスタートのきっかけです。そのアイデアをベースに議論を重ねているタイミングで、稲原さんから「RAGを活用できるかもしれない」という提案があり、R&Dと連携しながらプロジェクトを進める形が確立しました。
稲原:私たちは、論文の内容をただお客様に示すのではなく、RAGによってできることをわかりやすく伝え、業務に結び付けた有効なベンチマークを設定しました。研究開発に取り組むうえで、改善の過程がわかるよう工夫したことが、その後のお客様からの信頼につながったと思います。相手の立場に立ち、新しい技術が事業にもたらす利益を整理して伝えることは、プロジェクトの土台を作るうえで重要でした。
新技術をわかりやすく伝えることで重ねた信頼
――その後、どのようにプロジェクトは進んでいきましたか。
星野:2021年7月ごろから、R&Dとソリューション開発、それぞれの文脈でRAGを活用したアプローチの検証が始まりました。権利の都合上、R&Dでは一般的なデータを使って研究を進めることが多いのですが、そうしたデータをもとに得た結果は、社会実装に結びつかないものも多くあります。その点において、今回は初期からお客様のデータを活用させていただけたことで、より具体的で実用的なデモを作れたのが、通常の研究開発との大きな違いです。
下沢:デモがあると、現場で働いている方々にも試していただけます。アルゴリズムの精度のパーセンテージを報告するよりも、実際の出力結果・生成結果を自分自身の目で確かめていただいたほうが納得感や安心感を得られやすいですから、デモを触っていただくことは非常に大切です。実際に使っていただくことになるお客様からフィードバックをいただけたことで、具体的な改善点も見えてきました。
星野:お客様は、私たちとこのプロジェクトを始めた頃は「本当にうまくいくんだろうか」という不安も少なからずあったようです。
デモはその不安を払拭する一要因にはなったと思いますが、信頼の獲得につながったのはそれだけではありません。下沢さんが日々丁寧なコミュニケーションを重ね、技術的な背景を説明してきたこと、そしてエンジニアが改善を重ね、精度面での数値目標を達成したことが、「これなら次の段階に進める」という先方の確信につながったのだと思います。
――次の段階では、どのようなことに取り組みましたか。
稲原:オリジナルのRAGよりも高度な生成モデル(FiD)を導入し、生成モデルの改善、デモアプリの改修、および論文調査を同時並行で進めていきました。
星野:ここで改めて論文調査を行ったことで、質問応答タスクに関する最新の技術・手法と、それぞれのメリット・デメリットを整理できました。技術に対する包括的な知識を得られたことで、お客様と私たちの目線をそろえられたと思います。
それまではPKSHAが提案して先方の合意をとりながらプロジェクトを進めてきましたが、論文調査を経てからは、お客様と一緒にプロジェクトの方向性を模索できるようになりました。
下沢:しっかりと結果を出してお客様の信頼を得てきたからこそ、同じ目線で建設的な議論ができるようになったのだと思います。特に星野さんは、お客様からプロジェクトをどの方向に進めていくか対等に相談してもらえる立場になりました。お客様から「星野さんはどうしていきたいと思いますか?」と方針決定をエンジニア個人に委ねていただけるのは、不確実性の高い投資的なR&Dプロジェクトにおいてとても珍しいことだと思います。
LLMのトレンドがソリューション化の追い風に
――ソリューション化に至るまでの過程では、ChatGPTの台頭がありましたね。
稲原:プロジェクトが進むにつれて、RAGだけでお客様が実現したいものを作るのは難しいということがわかってきました。当初はLLMとは呼ばないような比較的小さな言語モデルを生成部分に利用していたので、検索精度が改善するにつれて生成側の精度がボトルネックになってきました。ドキュメントから情報を抽出するだけでは未知の事例に対応するのは難しく、得られた情報と常識を元に言語モデルが高度な「推論」をする必要があるためです。そういった課題が立ちはだかる中、偶然に訪れたのが、ChatGPTと共にもたらされた言語モデルの飛躍的な性能向上、つまりLLMのトレンドです。
星野:LLMの想像を上回る性能を確認した上で、お客様との間で議論を交わしました。このまま方針を変えずにプロジェクトを進めていくか、それとも新しい技術を使うか。現状を踏まえたうえで、最終的に生成モデルとしてLLMを取り入れていくことを決めました。ここで認識の齟齬なくお客様と議論できたのは、前段階で技術的な目線を合わせることができていたからです。
稲原:課題を解決するために、複雑な推論タスクを解くのに適したChain-of-Thought ※(CoT)を採用することにしました。ちょうどAIバブルが起こったことで複数の技術を組み合わせるストーリーを描けたことは幸運でしたが、常に先端技術の情報を先取りしてきたからこそ、このチャンスをつかめたのだとも感じています。
※Chain-of-Thought‥AI自身に思考過程を出力させる手法
下沢:野球と同じですね。ボールを拾うためには、ポジショニングが大事です。私たちの場合は、先端技術についてキャッチアップすることに加え、課題が集まる場所にいなければなりません。R&Dを担うLayer0と、ソリューション開発を担うLayer1が地続きになっているPKSHAだからこそ、課題解決のために適した先端技術を実装することができたと思います。
――その組み合わせが、ソリューション化の最後のピースになったのですね。
下沢:CoTを採用したことで、その回答に至った思考過程を示すことができたので、より現場の納得感が高いUXを実現できました。それ以前から私たちは現場視点でデモを開発し、定性的なフィードバックをもらいながらアルゴリズムの開発を続けてきたので、仮にいつプロジェクトが終わっても、現場で使える状態にはなっていたはずです。とはいえ、最終的に非常に高い精度の回答を得られるソリューションを開発できたのは、やはり技術的な最後の一押しがあったからだと感じています。
星野:プロジェクトの最終局面で今までと異なるアプローチに挑戦したことで、回答精度を飛躍的に向上させることができました。現場向けの検証では、75~90%の正答率を実現しています。ひとりのエンジニアとして、技術革新はこのようにして起こるのかと感動しました。
実際に生成結果を評価していただいたベテランの方からも「特に若手にとっては今の状態で十分に役に立つ。対策案が複数出る点やその思考過程が書かれている点から考えるヒントをたくさんもらえるのがいい」というご意見もいただいています。
コンペ参加で得た知見をプロジェクトに還元
――ソリューション開発が進むかたわら、社内ではどのような動きがありましたか。
星野:「PKSHA Maintenance」の開発中に取り組んだ質問応答や検索という分野について、R&D活動の一環として同時並行的に技術探索をしていきました。PKSHAのメンバーにRAGの可能性を共有すべく、オープンデータを利用して最先端のRAGの性能を気軽に体感できるデモアプリを作成したのも、取り組みのひとつです。
また、当時の質問応答に関する研究は、英語領域ではさまざまな研究が進んでいた一方、日本語領域ではまだ十分とは言えないような状況だったと思います。日本語質問応答システムのコンペティション「AI王 〜クイズAI日本一決定戦〜」は、クイズを題材として日本語の質問応答の知見を貯めることを目的として、東北大学自然言語処理研究グループが定期的に開催しているものでした。私たちはR&Dの活動の一環として同コンペに参加し、参加企業と競い合いながら質問応答に関する知見を貯めることができました。このコンペで得られた知見やフィードバックは「PKSHA Maintenance」のプロジェクトにも活かされています。
▼「AI王 〜クイズAI日本一決定戦〜」の参加レポートはこちら
稲原:コンペで得られた知見をプロジェクトで実際試して……というある意味贅沢なサイクルを回すことができました。Layer0とLayer1が連携して成果を出し、双方の糧となる理想的な形にできたと思います。
数年先を見据えた視点で、大きなインパクトをもたらす
――改めて、リリースされた「PKSHA Maintenance」の概要をお聞かせください。
下沢:「PKSHA Maintenance」は、高齢化が進む製造業界におけるベテラン技術者の引退や、それに伴うノウハウ継承の難しさを解決すべく開発されました。工場の設備や機械に不具合が発生したときに、その修理対応を行う現場作業者や修理計画の作成担当者に、対応策を提案するものとなっています。
過去に発生した不具合への対応履歴を出力するだけではなく、過去に誰も対応していない不具合に対しても、過去のトラブル対応の知見を参照して対応策を推論できることが大きな特徴です。
技術の平準化が進み、経験の浅い技術者であっても、未知の不具合への対応工数を削減できます。その結果、工場の停止期間を短縮して生産性を高められるので、経済的に大きなインパクトを与えられます。
――今後のビジネスにどのようにレバレッジをかけていけそうですか。
下沢:製造業界では複数の工場やインフラを有する会社が多く、その運営はベテラン頼みになっている側面も大きいです。各企業の重要な資産である保全履歴の知見を集約し、情報やノウハウをデジタル化することが、この課題を解決する糸口になると考えています。
因果関係が複雑な現象が発生し、それに対する対応を要する領域では、本ソリューションの応用が利くはずです。そのため、ゆくゆくは製造業界に限らず、コンサルティングや医療・ヘルスケアといった領域にも展開していきたいです。
また、ベテランの思考をAIと共にトレースすれば、その内容は新人研修やトレーニングにも転用できるでしょう。暗黙知と形式知を横断し、包括的なナレッジマネジメントを提案できるのが、PKSHAの強みです。熟練の技術が体系化され、後世に継承されていくことは、各業界の進歩にも寄与すると考えています。
――最後に、R&Dがもたらしたインパクトと、今後の展望についてお聞かせください。
星野:本プロジェクトを通じて得られた知見は、社内で開発している高度な検索モデルや、「PKSHA AIヘルプデスク」などのプロダクトの検索機能にも活かされました。「PKSHA Maintenance」についてはLayer0とLayer1との連携によって生み出されましたが、その後Layer2へとその知見が継がれていったことも、社内の事業成長に大きな実りをもたらしたと思います。
稲原:R&Dを起点として大きな広がりを見せたプロジェクトでしたね。R&Dに携わる人材がこれほど表に出る会社も珍しいとは思いつつ、アカデミアの知見を社会実装に繋げていけることは、個人的に嬉しいです。Layer0の次なる取り組みについては、AIの今後の進化の方向性による、というのが正直なところです。ただ、数年後のあるべき姿から逆算し、人とソフトウエアの共進化につながるような取り組みを進めていく姿勢は今後も変わりません。
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